セクハラ報道に物申す
2024年3月8日
岐阜県岐南町の町長が「心が折れて」辞職した。その間、報道各社のコメンテーター達は、まるで野犬集団の合唱のように、寄ってたかって小島町長を一方的に非難した。
自分は、それにいささかの疑念を抱いている。
まず、ハラスメントという新語が、最近いとも簡単に使用され過ぎているのではないかと思う。まして女性が何かを訴えると、すぐに「セク」なる冠頭詞をつけてしまって同情する風潮があるのである。
ハラスメントとは仕手(行う人)と、され手の意図と受け取り方によって、大きく変わって来るものである。仕手(行う人)がそれを意識してやったか、受け取り手がそれに不快感を抱いたかによって、同じ行為であっても、成立する場合としない場合があるのである。但し何でもイヤイヤという人間もかなりおり、何でもハラスメントの元となりうる、ストレスだらけの世の中であるのは否めない。
但し、後出しゲームのように「ミーツー」と今になって、合唱するくらいなら、何故99件もの「セクハラ」を受ける度にその場で異議を唱えなかったのか。卑怯な集団群衆心理のようにも思える。その場でその都度、小さくても抗議を受けていれば、町長も少しは身を引き締めていたのではないか。
また、職員との間に信頼関係があれば、成立しなかった「セクハラ」も多くあったのではないであろうか。ちなみに、うちの職員は私の腕の盛り上がった血管を「気持ちいい」と言ってしきりに触りに来る。また二人の職員が私の前と後ろに来てふざけて、腹で私を挟み撃ちにしてしまったこともある。私の乱れた髪を、手で勝手になおしてくれたこともある。私がパンツ一丁になって診察着に着替えている時に、堂々と部屋に入って来るのは、しょっちゅうである。私も毛のないツルツルのスネを彼女らに披露したこともある。彼女らの頭を撫でて褒めることも、しばしばある。ご苦労さんと言って肩に触れることもある。患者さんにいただいたお菓子を皆で分け分けするのは、しょっちゅうである。いずれも今のところ、嫌な顔をされたことはない。
このようにお互いが信頼しあい、尊敬し合い、家族のように仲良く協同で仕事をしていれば、何の問題もないのである。
急に裏切られ、マスコミの恰好の餌食になっている小島町長にも、弁解の余地はあるのではないか。但し村八分にあい、大人の世界のイジメを思いきり受け「心が折れてしまった」のでは仕方がないが。
2024年3月7日 八杉誠





