ある学校医の思い
2024年12月17日
先日学校医の集いが開かれ、テーマは「不登校」であった。その中である御偉い先生は「周りからのサポートが必要である」事を、高い壇上から延々と述べられていた。自分はそんな抽象的な事を論じて何の役に立つのだろうと、退屈しながら聞いていた。これも生涯教育の単位の一つの為だと、諦めて欠伸をしながら聞いていた。自分はそんな理念的な空論よりも、具体的な現場の問題の方がもっと大事であると思う。
自分は北区の菅北小学校の学校医をしていて、年に何回か「形式的な健診」に赴く。その中でいつも思うのは、先生方の子供達への「突きっ放し」である。つまり小1の子でも小6の子でも先生方はすべて「・・・さん」と冷ややかに呼ぶのである。自分の小さい頃は、小1・小2の頃は「まことちゃん」、小3・小4の頃は「八杉君」、小5・小6の頃は「おい八杉」と呼ばれ、その温もりの中で育てられてきた。特に小6の時のある学級委員長会において「修学旅行に何を寝間着にするか」と言う議論の中で、自分は「誰でもパジャマを持っているんで、それを持って行く事にしよう」と提案した。ところがその時の私の担任であった「平野先生」は「なあ八杉、パジャマを買ってもらえへん子もいるんやで」と自分を諭して下さった。その時自分は、己が何と思い上がっているかを、痛切に感じさせられたのである。その一言がその後の自分の社会主義的思考形態に、一生大きな示唆を与えてくれたのである。ちなみに、自分は大人になってからの結婚式に「医局のプロフェッサー」ではなくその「平野先生」を主賓でお招きして、温かいご祝辞を頂いたのである。
又、中3の時にも大きな思い出がある。それこそ、ある休んでばかりいる生徒の家に「皆で迎えに行こう」と担任の「梅木先生」という女の先生が土砂降りの中、皆を引っ張って先頭に立って歩き出したのである。我々の卒業直後をねらっておられたのか、出産直前の大きなお腹を突き出してである。途中で傘の骨は折れ、サンダルは田んぼの泥に取られてしまって、それを手に持って裸足でよろめきながら、歩いて行くのである。自分はその後についていきながら、さながら「捨身飼虎図」を見せつけられたのである。ちなみにその同級生はその後、登校してくれた。大人になって同窓会をした時、その御仁は大阪北開発にある会社の社長になって大いに活躍をしてくれていたので、懐かしく大いに美酒を酌み交わしたのである。
このように自分は小6、中3の時に自分の一生を決して下さった、偉大なる先生方に出会えて世界一幸せな人間だと思う。献身的で世界一美しい妻。ひたすら医者の道を付いてきてくれる三人の子供達。どこにもない可愛い優秀な職員達。こんな歳になっても頼って毎日詰め掛けてくれる大勢の患者さん達。残念ながらお亡くなりになってしまわれた小中の担任の先生方。自分の人生を最も幸せで豊かにしてくれたワンちゃんたち。それら全てに感謝して、いつでも待ってくれているかと思うと、人生の終わりが近づいている事など、何の心配も悔いもない、今日この頃である。
2024年12月17日 八杉 誠





